双胎間輸血症候群と18週の双子の死産|夫婦で経験した深い悲しみと感謝

双胎間輸血症候群と18週の双子の死産|夫婦で経験した深い悲しみと感謝

春先、妻の妊娠がわかりました。
妻が病院から持ち帰ってくれたエコーの写真をみていると「それ2つあるでしょ?」と…。
二つの小さな心臓が写っていました。
双子だと知った瞬間、顔面神経麻痺が治りきっていない顔を歪めながら、大きな声で驚いたのを覚えています。

今年の2月に息子を17週と6日で18トリソミーで死産を経験したこともあり、
「僕達の所へ帰ってきてくれたのかな」と、神秘的な気持ちもありました。

妻のお腹は心配になる速度でふくらみ、18週目には腹囲は95cmありました。
妻のお腹が膨らむたびに「3人の父親になるんだ」という実感が、静かに、着実に積み重なっていきました。
にぎやかで幸せな未来が、当たり前のようにやってくると思っていました。


17週と5日目の健診の日の夕方、妻から連絡がきました。
「双胎間輸血症候群で、その治療は日本で10ヶ所位しかできるところがない。明日10時に県外の病院へ入院することになった。1ヶ月位入院になりそう。」

突然の事で、只事ではないことは、すぐにわかりました。
説明を聞くうちに、二人の命が危険にさらされていることを知りました。
その瞬間から、時間の流れが急に速くなったように感じます。

息子の託児所の調整をバタバタと行い、数日お休みを頂き、仕事の申し送りを終え21時頃にやっと帰宅できました。

翌朝7時には家を出発し、双胎間輸血症候群の治療で日本で最も実績のある病院の一つへ転院しました。
エコーで診察をして頂き、翌日に胎児鏡下血管吻合術を受けることが決まりました。

妻は妊娠当初からずっと大きな絨毛膜下血腫があり、出血が続いていました。
その血腫が手術中の羊水を赤く濁らせ、視界が悪く手術が難航しそうなこと、
その対策としては、人口羊水を注入したり、二酸化炭素を入れて視界を確保して行うと説明を受けました。

視界が良好な例ではほぼ成功する手術ですが、
視界が不良な事が予想され、破水し2人とも亡くなってしまうリスクも説明を受けました。

トントン拍子に進んでいく手術に心がついていかない気持ちがありました。
でも、手術を受けるしか双子を助ける方法が無いことは容易に理解できました。

数カ月前に18トリソミーで息子を死産していることもあり、
「もう2回目はないだろう、そんなに不運なわけがない」と、
何の根拠もない思い上がりをしていた気もします。

自分の手でなにもしてあげられない無力さを感じながら、
不安で押し潰されそうな気持ちを抱えながら、私たちは医師を信じるしかありませんでした。

執刀医の先生の分かりやすく丁寧な説明や態度は、僕達を勇気付け、信頼させてくれました。
「どうかよろしくお願いします」と、心から思いました。


手術中、待合室で祈るような気持ちで時間を過ごしました。
長くても2時間と説明を受けていましたが、3時間ほど待ちました。

部屋に戻り、妻と一緒に執刀医、主治医より説明を受けました。
執刀医の先生は無念をにじませながら説明してくださいました。

想定した通り、羊水は血で濁っていた。
羊水を注入し濁りを薄めた。
二酸化炭素はうまく入らなかった。
羊水を入れ替え薄めながら手術を行っており、血管を焼き出せ、これで上手くいく、と思った矢先に破水してしまった。

破水したら手術はできないため、終了と判断をした。

ここからは、破水しているので、身体の反応としては出てこようとすることが考えられる。
出てこないなら妊娠継続の可能性あり、陣痛が始まれば母体のことも考えて出産がいいと考える。
陣痛が起きないように張り止める薬を出すことも可能です。
2人で考えてください。

そして、最後に先生はこう言いました。
「よくなると期待して、遠方から来てくださったのに、期待に応えられず申し訳ありません」

おおよそ困難な状況であることは、理学療法士であり、一度死産を経験している僕たちにはわかっていました。

僕は、説明を執刀医の先生の目をしっかりと見つめながら頷き、聞きました。
「はい。わかりました。ありがとうございました。」と、震えながら答えました。

先生たちが退室し、妻と2人になりました。
手を強く握りあい、大泣きをし、「厳しいなぁ」と震えながら呟きました。

考えていることは同じだったようで、今後の方針はすぐに決まりました。
張り止めは使わず、自然の流れに身を任せることになりました。

そして、今後の方針について考えてくださいと言われてから、10分程度で妻に陣痛が始まりました。

手術の麻酔が解けぬまま、すぐに分娩室へ移動し、出産が始まりました。
そこから12時間後の翌日早朝に、2人は静かにこの世界に生まれて、静かに旅立っていきました。
18週と1日でした。


愛おしい2人の娘達の姿を、初めて目にしながら妻と二人で泣きながら、心の中で何度も「ありがとう」と伝えました。
無念さも、悲しさも、愛しさも、すべてが胸に渦を巻いていました。

2月に死産した息子とも2日違いで、大きさも同じくらいでした。
上唇に僕のDNAが入りやすいようで、みんな同じ上唇で、愛おしくて笑えてきました。


わずか18週間の命。
けれど、二人がこの世にいた証は、これからも私たち夫婦の心に残り続けます。
あの小さな手と足を、私は決して忘れません。

今回のこの大きく、深すぎる悲しみの経験で、1つだけ良かったことがあるとしたら、
命を救うため寝る間も惜しんで働かれている、胎児鏡を用いる手術の日本有数の執刀医の先生、主治医の先生、
難しい精神状態の僕達に嫌な思い1つさせず、夜勤帯での出産をサポート頂いた助産師の方と、
患者家族として関わる事が出来たことだと思います。

そんな執刀医の先生が説明の時に言った
「よくなると期待して、遠方から来てくださったのに、期待に応えられず申し訳ありません」
という言葉は、あまりに誠実で、医療従事者としてとても心を打たれました。

医療の発展が命をつないだり、
理学療法士で言うなら歩く能力を獲得できることに、
すごく大きな意義を感じます。

僕の行なっている仕事に誇りをもたらし、人生を注ぎ込もうと思わせてくれました。

あれから約1週間経ちました。
仕事に復帰し、今度は治療者側として医療の現場に戻ってきました。
先生達にしてもらったように、僕も理学療法士として誠実に、病気や歩行に向き合って行きます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました