西加奈子「きりこについて」感想|“自分”を生きることの美しさに気づかされた本

西加奈子「きりこについて」感想|“自分”を生きることの美しさに気づかされた本

自分の顔、自分の身体、自分の心。
それらを、誰の声にも惑わされず「好き」と言える人がどれほどいるだろうか。

西加奈子さんの小説『きりこについて』を読んで、「自分として生きる」ことをどこか忘れていた自分に、そっと光を当てられたような気がした。


ただ、そこにいる、という、それだけのことの難しさ

「ただそこにいる。ただ死ぬまで生きる。これが難しい。」

この言葉が、何度も頭に残った。
誰かに評価されるために、誰かに嫌われないように生きる日々。
いつのまにか「自分として生きる」ことが、どれほど難しいことになっているのかを、きりこは知っていた。

人間たちが見ているのは、それぞれの心にある「鏡」。
その鏡には、「他人の目」「評価」「自己満足」…そんなフィルターがかかっている。
私たちは常に、“誰かの視線”を通して自分を見てしまっているのだ。


「ぶす」と言われても、自分を愛する強さ

「ぶすやのに、あんな服着て。」あんな言葉に、屈することはなかった。
きりこは、きりこ以外、誰でもない。

誰かが決めた「美しさ」に当てはまらなくても、きりこは自分の顔が好きだった。自分の服、自分の体、自分の生き方が好きだった。

なのに、気がつけば、自分を否定して、誰かの言葉に耳を傾けてしまう。
「ぶすって、何だ。誰が決めたのだ。」

見た目の美しさではなく、“佇まい”や“あり方”に美しさを感じられる人間でありたいと、私は思った。
ちせちゃんが美しかったのも、目が大きいからでも、肌がつやつやだからでもない。

「ちせちゃんは、ちせちゃんその人だから、綺麗だと思った。」

誰かに似ているからじゃない。誰かの基準に合っているからじゃない。
「その人らしさ」こそが、美しさになるのだと、あらためて感じさせられた。


「自分のしたいことを、叶えてあげるんは、自分しかおらん」

「セックスをたくさんしてるから体を大切にしてへんのやなくて、ちせちゃんは、自分の体が何をしたいかをよく分かってて、その望む通りにしてるんやから、それは、大切にしてる、ていうことやと思う。」

この一節を読んだとき、自分の体や心の声をちゃんと聞いてるか?と、胸を突かれた。
「人にどう思われるか」を気にすることで、無意識に自分の願いや欲求を抑え込んでいる。

「自分のしたいことを、叶えてあげるんは、自分しかおらん。」

この言葉は、ちせちゃんへの理解であると同時に、きりこ自身への励ましでもあった。
そして、読んでいた私自身への言葉にも思えた。


「僕は僕」と言い切れるように

顔面神経麻痺を発症してから、自分がHSP気質で、気にしやすく、感じやすい人間だと気づかされた。
誰かの視線や言葉に過敏に反応しすぎて、気づけば「人の目」にばかり合わせて生きていた。

そんなときに出会った『きりこについて』。
きりこやちせちゃんの姿を通して、「僕は僕!」と、もっと堂々と言い切れるようになりたいと思った。
いや、思っただけじゃなくて、本当にそう生きていきたいと、心の奥で強く感じた。

「自分の顔が好き」と言えること。
「自分がこうしたい」と言えること。
それはワガママでも、自己中心でもなく、“自分を大切にする”ということ。


【おわりに】

「きりこについて」は、自分という存在を肯定することの大切さと、その難しさに静かに寄り添ってくれる物語だった。

人からの評価を手放し、自分であることを受け入れる。
それが、どれだけ美しいことか。

きりこのように、ちせちゃんのように、「私は私」「僕は僕」と胸を張って生きていけるように、
これからも自分の声を聞き、自分の願いを叶えてあげられる生き方をしていきたい。

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