“好き”って、こういうことかもしれない|HSPと顔面神経麻痺、その後の話

“好き”って、こういうことかもしれない|HSPと顔面神経麻痺、その後の話


はじめに

昨日、家族達(私達家族・祖母・叔母・祖母の母)と一緒に桜を見に行きました。
春の柔らかい日差しのなかに風が吹き荒れる天気でしたが、満開の桜の下をゆっくり歩いていると、ふと心がじんわりあたたかくなるような感覚がありました。
「きれいだな」「こんな家族みんなでうれしいな」「ああ、これが“好き”ってことなのかもしれない」——そんな風に、自然と高揚する気持ちがあって、なんだかとても嬉しかったのです。

今回は、顔面神経麻痺を発症してから3週間が経った今、少しずつ見えてきた“自分の心”について書いてみたいと思います。


“好き”がよくわからなかったこれまで

私はHSP(Highly Sensitive Person)の気質があります(今回この様な事になって、色々本を読む中で、これは完全にじゃない。となった)。
とても敏感で、人の気持ちや場の空気を感じ取りやすい分、自分の気持ちがわからなくなることがよくありました。

人の期待に応えようとするあまり、自分の「やりたい」よりも「やるべき」に意識が向く。
誰かが喜んでくれるなら、無理してでも動いてしまう。
子どものころから、そんな性格で生きてきました。

その結果、“自分が何を好きか”という感覚が、いつの間にか鈍くなっていた気がします。
楽しいこともあったし、笑顔もあったけれど、「心の底から嬉しい」「これが好き」と、しっかり感じ取る力は弱まっていたのかもしれません。


病気になって、ようやく見つけた“ストップサイン”

以前のブログにも書いたように、
(HSP気質と顔面神経麻痺|人の気持ちを感じすぎる自分を受け入れるまで)
私は心も身体もかなり疲れていたのだと思います。
表情が動かなくなって、思うように話せなくなって、自分でも驚くくらい落ち込みました。

でもその時間の中で、「こんなに頑張ってきたんだな」「ちゃんと疲れていたんだな」と、ようやく自分を労わる気持ちが芽生えてきました。
それまでは、どんなに疲れていても「もっとやらなきゃ」「みんなが頼ってくれているから」と、自分に無理をさせ続けていたのだと思います。

あのときの身体の異変は、きっと「もう一度立ち止まって、自分を大切にして」というメッセージだったのだと思っています。


そして昨日、見つけた“好き”という気持ち

そんな私が、昨日、桜を見て「きれいだな」と思いました。
ただそれだけのことかもしれないけれど、自分の心が動いた感覚があって、少し涙が出そうになりました。

風の音、花の匂い、家族の楽しそうな笑い声。
それらがすっと心に入ってきて、自分の中で「気持ちいい」「幸せ」という感情が素直に湧いてきたんです。
人の視線や期待ではなく、自分の感覚で、世界を受け取れた。
それがとても新鮮で、同時に「これが“好き”ってことなんだ」と、ようやく実感できた気がしました。


“回復”とは、こういうことかもしれない

顔面神経麻痺の症状は、少しずつ回復しています。
でもそれ以上に、私の中で「自分の気持ちに気づけるようになってきた」ことが、もっと大きな“回復”なのかもしれません。

「無理をしないようにしよう」と思っていても、なかなかうまくいかない日もあります。
それでも、桜を見て「好きだな」と思えたように、小さな“心の声”を見逃さずにいられたら、それはきっと大事な一歩です。


おわりに

ストレスやHSP気質と向き合うのは、簡単なことではありません。
でも、そんな自分だからこそ味わえる感情もある。
今回のように、自然のなかで心がふっと軽くなる瞬間を感じることができたのは、その証のような気がします。

“好き”を見つけることは、自分を取り戻すこと。
これからも、そんな感覚を少しずつ集めながら生きていけたらいいなと思います。

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